大泉洋さんと言えば「水曜どうでしょう」のイメージが強いのではないでしょうか。
その後、テレビドラマや映画に出演し、今では有名人に成り上がりました!
そんな大泉洋さんが、実は結婚していて娘みくちゃんがいらっしゃるをご存知でしょうか?
また、大学生時代に苦労していた情報をキャッチしました!一体どんな苦労をしてきたのでしょうか?
真相にせまります!是非最後までお付き合いください。
大泉洋 プロフィール
- 名前:大泉洋(おおいずみよう)
- 本名:大泉洋
- 生年月日:1973年4月3日
- 出身地:北海道江別市大麻
- 職業:俳優、タレント、声優
- 所属事務所:CREATIVE OFFICE CUE
- 配偶者:中島久美子(2009年~)
娘みくちゃんが生まれたのは交際後すぐだった!?
大泉洋さんは、中島久美子さんと結婚しました。中島さんは、フジテレビに入社後、人事部などを経て、編成制作局ドラマ制作センター副部長に就任した腕前をお持ちの女性です。
大泉洋さんと中島久美子さんは、中島さんが2005年にプロデュースしたテレビドラマ「救命病棟24時(第3シリーズ)」で出会ったようですが、その時はまだ交際しておらず、中島さんが2008年にプロデュースしたテレビドラマ「ロス:タイム:ライフ」で再会し、交際がスタートしたようです。
主なプロデュース作品
- 氷の世界
- 救命病棟24時(第2シリーズ)
- 天才柳沢教授の生活
- 東京ラブ・シネマ
- 日韓合作ドラマ2004 STAR’S ECHO~あなたに逢いたくて~
- 救命病棟24時(第3シリーズ)
- おかしなふたり
- ロス:タイム:ライフ
- Room Of King
- 救命病棟24時(第4シリーズ)
- 故郷~娘の旅立ち~
交際1年足らずで結婚し、2011年5月には娘さんが生まれました。娘さんは「みく」ちゃんというお名前のようですね!
大泉洋さんは、娘さんを溺愛しているそうで、有名幼稚園のお受験に積極的なパパだったと話題になりました。その有名幼稚園とは「青山学院幼稚園」のようです。しかし、青山学院幼稚園へのお受験を言い出したのは中島久美子さんだったようで、当初大泉さんは乗り気ではなかったようです。
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大学生時代の経験が今の彼を作った?!
当初、青山学院幼稚園へのお受験が乗り気ではなかった大泉洋さんですが、青山学院幼稚園は大学までエスカレーター式になっているので、娘みくちゃんに苦労をさせたくないと考え、青山学院幼稚園へのお受験に積極的になったようです。
それもそのはず。大泉洋さんは、自身の大学受験に2度失敗した経験をしていました。
札幌市内の中学高校を卒業後、大学受験しましたが、結果2度失敗してしまったため、2浪を経験していたようです。3度目の正直で、北海学園大学 経済学部に入学することができたようです。
しかし、北海学園大学は、本来志望大学ではなかったためはじめは落ち込んでいたようですが、心機一転、演劇研究会に入ったそうです。この心機一転が大泉洋さんの人生を変えたと言っても過言ではないでしょう。ここから全国的に有名な劇団になるなんて想像もしなかったでしょう。
当時、鈴木貴之さんが主催する劇団の劇団員として事務所に所属し、北海道のローカル放送からスタートし、芸能活動を開始します。翌年1996年からはじまったバラエティ深夜番組「水曜どうでしょう」で北海道内でのタレント活動が本格的にはじまりました。
「水曜どうでしょう」にナレーターとしても出演する名物ディレクター”藤やん”こと藤村忠寿さんは、
「単純におもしろかったんですね、あいつ。制作サイドから『これこれこういうことやってください』といわれて『はい、一生懸命頑張ります』じゃないんです。レポートをするとき、乳首のところだけ服を切り抜いてみたり、自分でおもしろいことを考えてくる。そういう意味では、ディレクターを信用していないというか、自分のほうがおもしろいという自負があった。センスが似ているなと感じました」
と語っていました。
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まとめ
- 中島久美子さんが2008年プロデュース・テレビドラマ「ロス:タイム:ライフ」で再会し、交際がスタート
- 交際1年足らずで結婚し、2011年5月には娘みくちゃんが誕生
- 大学受験に2度失敗した経験をし、北海学園大学経済学部に入学
- しかし、北海学園大学は、本来志望大学ではなかったためはじめは落ち込んでいたようですが、心機一転、演劇研究会に入る
- この心機一転が大泉洋さんの人生を変えた
- 当時、鈴木貴之さんが主催する劇団の劇団員として事務所に所属し、北海道のローカル放送からスタートし、芸能活動を開始
- 翌年1996年からはじまったバラエティ深夜番組「水曜どうでしょう」で北海道内でのタレント活動が本格的にはじまった
大泉洋さんは、娘みくちゃんを溺愛していることがわかりました。
大学受験失敗の経験は辛かったことでしょう。しかし、今日の俳優業までにたどり着いたのだと思うと、本当に人生何がきっかけとなるかわかりませんし、無駄がないとさえ感じることができますね。
これからも、北海道でも、関東圏でも、ご活躍期待しています!
最後までお付き合いいただきありがとうございました。