安室奈美恵さんが、スターへの階段を駆け上がる前、どのような子供時代を過ごし、母親との約束とは何だったのでしょうか?

 

また、安室奈美恵さんの代表曲「SWEET 19 BLUES」を加藤ミリヤさんが「19 Memories」としてカバーしましたが、世間からどのような声があったのでしょうか?

安室奈美恵さんってどんな人?

出典:https://www.happyon.jp/features/namieamuro

プロフィール

  • 名前:安室奈美恵(あむろなみえ)
  • 生年月日:1977年9月20日
  • 出身地:沖縄県那覇市
  • 職業:歌手、ダンサー、タレント
  • 所属事務所:ライジングプロダクション(1992年~2015年)、Dimension Point(2015年)、stella 88(2015年~2018年)

子供時代の写真や約束エピソードとは?

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安室奈美恵さんは、1977年9月20日、沖縄県那覇市首里で、3人兄妹の末っ子として誕生しました。

幼少期は、人見知りが激しく、引っ込み思案で、人の後に隠れているような子だったそうです。

また、安室さんが3歳か4歳のとき(※詳細不明)に両親が離婚し、母子家庭で育ったようです。

生活が苦しかったようですので、当時、入学金が40万円近くする沖縄アクターズスクールに入りたいと言い出せなかったようですが、沖縄アクターズスクールの校長が安室さんのスター性を見込み、特待生として入学を許可したそうです。

約束

安室奈美恵さんの母親 平良恵美子さんは、1999年3月17日、義理の父親に殺害されるという悲惨な事件が起きました。

安室さんの母親は、生前1998年9月「約束ーわが娘・安室奈美恵へ」という本を出版していました。

中学校に入学すると、アクターズスクールにのめり込み、寝ても覚めてもアクターズのことしか頭にない日々。

(中略)

母子喧嘩も増えました。

喧嘩した翌日なんか、私が「今日はアクターズを休んで、少しは家にいなさい」と注意しても、洗濯したり買い物に行ったりしている間に、パッとバッグを持って出て行ってしまうんです。

帰ってくるとなにくわぬ顔をしてCDを聴いている。

逆に言えば、ほんとうに意志の強い子だったんです。

「このままじゃ、卒業できませんよ」 そんな厳しい言葉が投げつけられたときです。

奈美恵がはっきりとした声で、こう言いました。

「卒業できなくてもかまいません。中学の卒業証書があっても将来ごはんが食べられるわけではありません。私は歌でお金を稼ぎ、りっぱにやっていきます。そして、お母さんを楽にさせてあげたいんです」

「行っちゃだめ!絶対にだめ!」 「行く!絶対に行く!」

バッグの引っ張り合いになりました。

奈美恵の目には涙があふれていました。

でも、、、、、、最後には、私が折れました。

奈美恵が涙をぽろぽろ流しながら言った「絶対に成功するから」という言葉を聞いたとたん、バッグをつかむ手から力が抜けてしまったんです。

奈美恵はきっと、私に心配をかけたくないから、沖縄に帰ってきても私とはあまりおしゃべりをしなかったんだと思います。

すべてが心配な母親と、母親には一切心配をかけたくないと思う娘。

あの頃のわたしたちは、そんな関係だったんです。

いろいろなことが走馬灯のように頭の中をよぎりました。

ミルクを飲まない赤ちゃんの頃、元気にはしゃぎ回っていた子供の頃、貧乏のどん底にあっていじけていた頃、アクターズに通っていた頃、そしてなにより、中学卒業と同時にボストンバッグひとつで家を飛び出していった後ろ姿……。

「3年で帰って来ることになる」と私は思っていました。

でも、奈美恵自身は「3年後を見ていろ」という思いだったはず。

それが実現し、結晶したのがレコード大賞だったわけです。

子供の頃から、奈美恵はめったに涙を流さない芯の強い子でした。

まして、人前で泣くなんて絶対にありえない子。

それが、レコード大賞受賞のときには人目をはばからず泣いたんです。

母親と交わした約束を忘れずに、芯を貫いてきたことがわかります。

 

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スイートナインティーンブルースを加藤ミリヤがカバーは失敗!?

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安室奈美恵さんの代表曲「SWEET 19 BLUES」を、加藤ミリヤさんが「19 Memories」としてカバーしました。

加藤ミリヤさんは、小学生低学年のころから、安室奈美恵さんやローリンヒルにあこがれていたそうです。

当時はアムラーだったとも語り、その憧れから10歳の頃には作詞活動をスタートさせたんだとか。

19歳のときに安室さんの「SWEET 19 BLUES」をカバーすることになり、「19 Memories」が世に生まれました。

19歳の今だからこそ歌える、大人と子供の間を行き来する等身大の加藤ミリヤをモチーフに綴られていましたが、

  • 「19歳の自分を表現するなら、自身のオリジナル曲を作るべき。」
  • 「他人の曲に乗せても、真実味がない。」
  • 「ここまで有名な曲をカバーするべきではない、商業的にしか感じられない。」

と厳しい声もあったようです。

一方で、

  • 「素直な歌詞に共感!」
  • 「大人への1歩を踏み出せる勇気をもらえた!」
  • 「応援したい!」

といった声もあったようです。

 

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まとめ

安室奈美恵さんは、幼少期は、人見知りが激しく、引っ込み思案で、人の後に隠れているような子だったようです。

当時の沖縄アクターズスクールは入学金が約40万円以上かかり、母子家庭だったため、入学したい気持ちを伝えられなかったそうですが、沖縄アクターズスクールの校長が、安室さんのスター性を見込み、特待生として入学を許可していました。

上京するにあたり、母親と一悶着あったようですが、上京後も母親と交わした約束を忘れずに、芯を貫いてきたことがわかりました。

 

また、安室奈美恵さんの代表曲「SWEET 19 BLUES」を、加藤ミリヤさんが「19 Memories」としてカバーし、高評価、低評価ともにあがっていましたが、加藤さんを支持する女性は多いですので、今後も応援したい存在です。

 

安室奈美恵さんは、芸能界から引退してしまいましたが、これからも大多数の人たちに愛されていく存在だと思います。