政府は、数年後をめどに、10,000円・5,000円・1,000円紙幣の肖像画を変更する準備に入った。
新10,000円・渋沢栄一(現:福沢諭吉)、新5,000円・津田梅子(現:樋口一葉)、新1,000円・北里柴三郎(現:野口英世)を検討している。
- お札に選ばれた理由
- 渋沢栄一の「仕事」名言抜粋
について触れる。
是非最後までのお付き合いください。
渋沢栄一 プロフィール

- 名前:渋沢栄一(しぶさわえいいち)
- 生年月日:1840年3月16日(天保11年2月13日)
- 死没:1931年11月11日(昭和6年11月11日)
- 職業:幕臣、官僚、実業家、教育者
「日本資本主義の父」と言われている。
お札の理由
政府は、数年後をめどに、10,000円・5,000円・1,000円紙幣の肖像画を変更する準備に入った。
新10,000円・渋沢栄一(現:福沢諭吉)、新5,000円・津田梅子(現:樋口一葉)、新1,000円・北里柴三郎(現:野口英世)を検討している。
既に発行されていた

渋沢栄一は、明治35年発行、朝鮮の第一国立銀行券、当時の朝鮮で発行された10円紙幣の肖像画になっていた。
諭吉が選ばれた理由

福沢諭吉が1万円札に選ばれた理由は、慶應義塾を作った人間、銀行を作った人間、保険会社を作った人間、海外の文化を積極的に日本に取り入れてきた人間、と偉業を成し遂げ、現在の日本の基礎となるものを多く生み出したからと言われている。
それ以外に、「顔にしわが多くお札に使いやすかった」顔にしわが多いことで偽造しにくいという現実的な理由もあったようだ。
現代は、印刷技術が発展したため、顔のしわで選定されることはなさそうだが、当時は選ばれやすい理由であったことが伺える。
旧百円札の板垣退助は、ヒゲが2つに別れているくらいだ・・・
それ以降、ヒゲが2つに別れている人物が使用されたことはない。
また、偽造防止のため、約20年周期で肖像画の変更しているようだ。
過去に遡り、これに当てはめると、1984年、2004年、そして2024年になる見込みだ。
- 渋沢栄一「資本主義の父」
- 津田梅子「津田塾大学の創始者」
- 北里柴三郎「近代日本医学の父」
福沢諭吉が1万円札に選ばれた理由があったように、渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎にも選ばれる理由があることがわかった。
渋沢栄一 名言「仕事」
- もうこれで満足だという時は、すなわち衰える時である。
- どんなに勉強し、勤勉であっても、上手くいかないこともある。
これは機がまだ熟していないからであるから、ますます自らを鼓舞して耐えなければならない。 - 信用はそれが大きければ大きいほど、大いなる資本を活用することができる。
世に立ち、大いに活動せんとする人は、資本を造るよりも、まず信用の厚い人たるべく心掛けなくてはならない。 - 事業には信用が第一である。
世間の信用を得るには、世間を信用することだ。
個人も同じである。自分が相手を疑いながら、自分を信用せよとは虫のいい話だ。 - 人生の行路は様々で、時に善人が悪人に敗けたごとく見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである。
悪いことの習慣を多く持つものは悪人となり、良いことの習慣を多くつけている人は善人となる。 - 金儲けを品の悪いことのように考えるのは、根本的に間違っている。
しかし儲けることに熱中しすぎると、品が悪くなるのもたしかである。
金儲けにも品位を忘れぬようにしたい。
まとめ
福沢諭吉が1万円札に選ばれた理由は、
- 慶應義塾を作った人間、銀行を作った人間、保険会社を作った人間、海外の文化を積極的に日本に取り入れてきた人間、と偉業を成し遂げ、現在の日本の基礎となるものを多く生み出したから。
- 「顔にしわが多くお札に使いやすかった」顔にしわが多いことで偽造しにくいという現実的な理由もあった。
と言われている。
渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎が選ばれた理由は、
- 渋沢栄一「資本主義の父」
- 津田梅子「津田塾大学の創始者」
- 北里柴三郎「近代日本医学の父」
と言われているからと推測。
また、渋沢栄一は、「資本主義の父」と呼ばれるだけあり、仕事での名言を多く残している。
「1万円札は諭吉だよ~!」と嘆くのではなく、渋沢栄一がどんな人物であったのか知ってみてはいかがだろうか。
最後までのお付き合いいただきありがとうございました。